まさゆめ
それは、まるで夢のよう――本当に、悪い冗談のようだと……そう、思った。
世界樹の花を手に入れた俺たちは、ホビットたちが暮らし、あの男――デスピサロの愛したエルフが眠る町、ロザリーヒルへと、むかった。
欲深き人間の手によって無残に奪われた、あまりに悲しいエルフの少女。世界を滅ぼさぬために、愛する男を殺すことさえ頼んだ――ロザリーの動かぬ身体が、眠る場所へと。
そして、世界樹の花を彼女の墓標へとささげ――それからは、あっと言う間の出来事だった。
強い光が空から降り注ぎ、一瞬で花をのみこむと――花の代わりに、彼女が立っていたのだ。
桃色の髪の、美しいエルフ……デスピサロの愛した、ロザリーが。
そして、蘇った彼女に頼まれるまま、俺たちは彼女を馬車に乗せ、あの男の居場所へとむかった。
……そこまでは、納得していた。
彼女を失い、悲しみに落ちていたホビットや魔物たちが喜ぶ姿を見て、これでよかった……そう思えたし、どうしても、デスピサロを止めたい、せめて自分が助けられたことを――生き返ったことを知らせ、それでもデスピサロを止められないのであれば、俺たちの手で、殺して欲しい……
そうまで言って、頼みこむ彼女の言葉を、断る気にはなれなかった。
……問題は、その、後だ。
たどりついた最後の場所、そこで既に、進化の秘法の力によって異形と化し、記憶を失っていたデスピサロは……ロザリーの愛の力で、姿と心を取り戻した。
そしてロザリーが、俺たちの手によって生き返ったと知らされると――戦うべき敵は同じだ、しばらく同行する……そう言って、勝手に馬車に乗り込んだのだ。
……こっちの返事も聞かず、いいや、こっちが何かを言うすきさえ、与えずに。
あまりのことに、俺は半ば呆然とし――ここにいても、しかたがない、そう判断して、来た道を引き返しながら……一歩一歩と地面を踏むたび、沈めていた怒りが、胸の奥からこみあげてきた。
――おまえは、いったいなんなんだ。
なんでこっちの返事を聞かない、なんで、それで話が通ると思っている?
おまえが戻ったことも、人間に対する誤解が解けたことも、それは、いいと、いいことだと、思おう。
だが、だからと言って――なんで、一緒にいなければならない?
おまえの声、おまえの言葉、おまえの姿――俺は、覚えてる。
おまえは道に迷った旅の詩人として、村にやって来た。
宿屋のおじさんに助けられ、宿の部屋をあたえられて。
君のような子供もいたんですね、そう言って、俺を見た。
そして、そして――――
まるで、今、ここで起こっているかのように、あの日の音が、声が響く。
ひきずられるように、腕を引かれ、村の倉庫の奥、小さな隠し部屋につめられて。
――私たちのことはいいから、早く
――あなたになにかあったら、わたし
――ついにかぎつけられた
――いまは逃げろ
――魔物が攻めて
――いまは逃げて、生きて強く
――あなたを、殺させはしない
デスピサロさま!
勇者を しとめました
おおでかしたぞ きさまにはあとでほうびをとらせようではみなのものひきあげだ
「……どの、勇者どの、勇者どの!」
声をかけられ、はっと、現実に帰る。
気がつけば、馬車は山のふもとの洞くつを抜け、深い紫の空が、頭上に広がっていた。
「大丈夫ですか?」
仲間が、心配そうに俺を見る。
……ああ、大丈夫、そう答えたかったが……、今、口を開くと……まともな言葉が、出そうにない。
俺は一度、深く呼吸をすると、今日はもう、宿をとろう、それだけ言って、荷物からキメラのつばさを、取り出した。
誰も異論は、唱えなかった。
キメラのつばさを使ってたどりついた町で、俺は宿を取り、部屋に荷物を置くと、ちょっと出てくる、それだけ言って、外へと出て……間もなく、村へと……住んでいた、村へと来ていた。
日が沈み、闇の落ちる村はいっそう、静けさを増している。
焼け落ちた家。
広がる、毒の沼地。
……もし旅人が迷い込んでも、こんな場所に人が住んでるはずはない、そう言って、引き返すだろう。
目を閉じて、息を吸い込むと、かつての景色が、自分の中で広がる。
魚のいる、川があった。
小さいけど、あたたかい家があった。
村の倉庫へと続く階段の上には、日よけの屋根があって、暑くなると、みんながそこに集まった。
村の真ん中の小さな丘には、いつも花があって、そこに転がると気持ちいい、シンシアはよくそう言って……。
勝手に、涙が落ちる。
泣きたかった、わけじゃない。
ただ、ここはこんな景色じゃない、それを浮かべたいだけなのに、次から次へだくだくと涙はあふれ、勝手に地面に落ちていく。
……ちくしょう、ちくしょう、ちくしょうちくしょう!
全身にかけまわるその言葉が、頭上に向けた顔からそのまま、あふれだす。
まるで、野生の獣のように、俺はその場で声を上げ、吠えた。
魚のいる、川があった。
小さいけれど、あたたかい家があった。
いつも剣の修行をしていた村の倉庫は、暑くて、日課の剣の修行を終えて、階段を上った時の空気がおいしかった。
川の水は冷たくて、村をかこむ森は、昼間は心地いいけど、暗くなると少し不気味で。
小さな丘には、いつも花が咲いていて、いつもそこに笑うシンシアがいて……。
父さんがいて、母さんがいた。
話しかけただけで攻撃する、あらっぽくて厳しいけど、よく笑う剣の師匠。
いつも授業を後回しにする、魔法の師匠。
ほとんど人なんか来ないのに、毎日村の入口を見張ってる、鎧のおじさん。
いつも畑を耕していて、ときどき野菜を渡してくれる、帽子のおじさん。
たまに村の人が家出する時に、本当にうれしそうにベッドを貸してくれる、宿屋のおじさん。
夜の見回りを担当していて、昼はほとんど寝ている、大柄なマスクのおじさん。
あいさつすると、いつも笑って答えてくれる、お兄さん。
そして……シンシア。
――こうして寝っ転がっていると、とてもいい気持ちよ。
――わたしたち、ずっとこのままでいられたらいいね。
シンシア……。
また、勝手に涙が落ちる。
もう、泣きつくした、そう、自分で決めたのに、まぶたは熱を持って、痛みを発しているのに。
……なのに、お構いなしに、涙は落ちて、染みていく。
自分で、自分の弱さに、腹が立って、拳を握る。
早く、服も顔も乾かして、帰らないと、いけないのに。
心配かけて、悪かった。
そう言って謝って、あの男の前でも、平気な顔をしなきゃならないのに……。
そのとき、がさり、と音がした。
木々を、草を強くかきわける音。
聞こえたそれは続けて響き、大きくなりながらこちらへと近づいてくる。
――誰か、来た?
思わず音の方向に、身体ごとふりかえる。
茂みが終わったのだろう、最後にがさっと抜ける音を立てて、人影が姿を現した。
……それは、よりによって、今一番、見たくない顔だった。
姿を確認したその瞬間、あわてて顔をそむけ、腕で強引に涙をぬぐう。
――……こいつにだけは、見られるもんか!
ごしごしと両腕で、無理やり涙をふきとると、そのまま俺は、背中を向けた。
……ここで、こいつの顔を、姿を目にしたくなかった。
あの日の記憶が、怒りが、全身からあふれて、自身まで、焼き尽くしそうで。
だから、背を向け、歯を食いしばって自制する俺に、あいつは……ピサロは、無愛想に言った。
「ロザリーがさがせと言ったからだ。
別におまえのためではない。」
見なくても、何の感情もない、あの冷たい表情が浮かぶ。
――誰もそんなことは聞いていない。
聞いてないのに、余計なことまで言わないと話せないのかおまえは!
……唇をかみしめ、そんな言葉を、飲み込んだ。
むしろ、ここでそのまま、思いをぶつけるべきだったのかもしれない。
だが、今、ここで何かを言えば……きっともう、止まれない、そう思って、俺は拳に力を込めた。
「戻れ。おまえの姿が見えないと、ロザリーが気をつかう。」
――ロザリー?ロザリーロザリーロザリー……それが、なんだと言うんだ!
……思わず、心の中で毒づいた。
わかっている、ロザリーに罪はない。彼女は何も、悪くない。
そんなこと、わかっている。
……なのに、なのにそれさえ、この男の口から聞くと、気に障る。
わかっているのに、在りし日の、そしてあの日のシンシアの姿がちらついて、勝手にふたりを、比べてしまう。
――彼女は、ロザリーは、誰からも愛されていました
ああ、シンシアだってそうだった。
優しくて、あたたかくて、みんな、シンシアが好きだった。
――墓を作って、みなの涙で送られ、人に惜しまれ、花にかこまれて………
墓どころか、死体さえなかった。
かこまれているのは、毒の沼地だけで。
俺がどれだけ惜しんだところで、俺が死ねばその時は、その存在すら、誰も知らないまま、消えてしまって……
……わかってる、わかってるんだ。
自分だけが不幸じゃない、苦しいわけじゃない、人と比べてよりどっちが不幸かなんて、なんの意味もありはしない。
不幸に直面したその後、どうするかが大事で、人にぶつけるなんて愚かだし、悲しいことだと、そう、わかっている……だから、だから……
「聞こえないのか。まったく、愚図なやつだ。
来い。こんなところに、用はないだろう。」
――音が、した。
身体をめぐる熱の音と、かたくてやわらかいものがぶつかる、生々しい音。
揺れて、地面へと倒れる男を、俺はなおも追い、二度、三度と、衝動のまま殴りつける。
――自分ばかりが不幸じゃない、だから、我慢しよう、我慢、すべきなんだ
そう、思っていたのに。
おさえつけていた熱が、痛みが、怒りが、反動を伴い、一気にあふれ出て……もう、止めようという気すら、おこらなかった。
「こんなところ……!?
おまえにとっては、こんなところなのか!」
閉じ込めようとした思いが、誰にもぶつけないはずだった思いが、そのまま、口から言葉になっていく。
「おまえが壊した!
殺して、火をかけ、焼いて、何もかもなくした!
シンシアも、父さんも母さんも師匠も、鎧のおじさんも、帽子のおじさんも、
見回りのおじさんも、お兄さんも、宿のおじさんも!
みんな、みんな優しかったのに!
おじさんは、掟を破ってまで、おまえを助けてくれたのに!
それなのに、どうして殺した!
どうして殺して、壊して、火をかけた!
壊したのに、殺したのに……それなのに、
おまえにとっては、「こんなところ」なのか!
どうしてそんなことが言える、どうして…………!」
大事だった、大事だったんだ。
奪われて、つらかった、痛かった、苦しかった。
もう戻ってこなくて、生きてたと知らしめる証さえ、もうほとんどなくて。
あの日まで、あの日まで、みんな、優しくて、あたたかくて……みんな、毎日、生きていたのに!
なのに、覚えているのは、わかるのは、自分しかいない。
悼む涙すら、自分ひとりしか、流せない。
悼んでも悼んでも、痛くて痛くて、どれだけ苦しもうとも、もう、二度と戻ってこない、なくなって、しまったのに!
――なのに、なのにどうして!
どうして、その奪った張本人は、幸せになる!
大切なものをなくした痛みなら、きっと変わらない、それなのにどうして、おまえはなくしたものを取り戻して、それでそんな顔をしていられる!?
苦痛が、閉じ込めた思いが、頭の中で、ぐるぐると回り、自身の下敷きになった男の胸倉をつかむ手に、力を込める。
「おまえが憎い!おまえが……!」
そう、腹の底から言い切った。
憎しみのすべてを、瞳と言葉から出し切るように、胸倉をつかみながら、殴りつけた奴の顔をにらみつける。
「……ならば」
奴が、口を開く。
こちらが変わらず凝視しているにもかかわらず、奴は腫れた顔のまま、言葉を続けた。
「なぜ、ロザリーを助けた。」
思わず、かたまるほど握った手の、力がゆるむ。
「それほど憎いなら、なぜわざわざ、助けようなどと思った……?」
その言葉が、記憶を呼び戻す。
花を手に入れた、話し合いのときの記憶。
その後の、仲間の言葉。
『本当に、いいのですか、勇者どの。
せめて、試してからでも……』
『なんならさ、好きに、しちゃえば?
きっとせめないよ、誰も。』
けれど、首を横に振った。
けれど、黙って、答えなかった。
あのとき、どうして……俺は、首を横に振った?
どうして……その言葉に、従わなかった?
なぜ……シンシアよりも……ロザリーに、花を使うことを選んだ?
いくつもの記憶、そう考えるまでの軌跡の断片が、頭の中を、一気に通り過ぎていく。
夢を見た。戦った。夢を見た。痛みを感じた。戦って、夢を……
まるで波のように、風のように、記憶は一瞬で流れさり、そして……
最後に、一つの景色が、俺の中で広がる。
……それが、その景色が……全ての答えを出した。
「……おまえの、ためじゃない。」
瞬間、戻る現実の景色。
目の前の腫れた顔の相手に、そう呟く。
「あの……小さなスライムのためだ。」
あの景色。
それは……小さなスライムが、花に包まれた墓の前で泣く、その姿。
ただ一つの、信じたものを失ったその痛み。
それが信じられなくて、それでも理解するしかなくて、襲いくる痛みを全身で感じ、身を震わせている、その姿。
それがあまりに痛そうで、つらそうで……あの日の自分と、全てを失った自分と、重なった。
嫌というほど、その痛みを、感じてしまった。
だから……。
花を持って、ロザリーヒルへと……むかったんだ。
全ての悲劇を、救えるとは、思わない。
間に合わなかった、助けられなかった、そんなことだって、たくさんある。
でも、それでも……救える力が、機会があるなら……救いたい。
あの痛みを、悲しみを、せめて自分のできる限りは……止めた、かった。
……弱みが、顔に出そうになって、突き飛ばすように腕を離して、立ち上がる。
背を向けて、思いっきり息を吸って。
奴の姿を見ないようにして、もう一度、言った。
「おまえの、ためじゃない。
あの小さなスライムと、彼女を失って悲しんでいた、
ロザリーヒルの人たちのためだ!
それから!」
もう一度、息を吸うために、言葉を切る。
「俺は、おまえが嫌いだ!
いままでも、これからも!
……それだけは、覚えておけ!」
鼓動の音が、全身に響きわたる。
その音の中、背中の向こうで、立ち上がる音がして。
それから、服の土をはらう音をさせてから、ピサロは言った。
「……言われなくても、知っている。」
――知っていてその態度か!
全部吐き出して、空になったはずの怒りが、また少し、体内で揺れた。
「だが……理由はどうあれ、
ロザリーを助けてくれたことだけは、礼を言う。
……おもしろくはないがな。」
「ひと言よけいだ!」
聞きたくもない口なのに、思わず言葉がついて出た。
……こいつ、人を怒らせる天才かもしれない。
「……さっさと戻れ。ロザリーが気を揉む。」
そう言うと、呪文を唱える声がして……数秒の後、ピサロの気配は、完全に消え去った。
静寂に戻った空気の中、森を抜けて届いた、夜の涼やかな風が、拳の熱い痛みを気づかせる。
……あんなずさんな、怒りだけの攻撃、そこらのモンスターにだって、通用しない。
それなのに、あいつは……黙って、殴られたんだ。
少しだけ、余裕のできた頭で、それがわかって……また、腹が立って、自身の拳を握りしめた。
……涙は、出ない。
少なくとも、これなら……みんなのところに戻って、大丈夫、悪かった……そう言えそうだ――そう、思った。
――Fin
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