はじまりのものがたり


 「ありがとうよ、またな!」

 本日最後の客を、声を上げて見送って。
 その背中が人ごみに消えるのを確認すると、大柄な男は、店の表の看板を、くるりと裏返し設置した。
 表の「営業中」にかわり、「臨時休業」を示す文字が、日ざしに照らされ、まだ明るい通りに向け、強くその存在を主張する。
 大柄な男、看板を裏返した緑の髪をした男は、黒い目を細めそれを確めると……自身の経営する酒場に戻り、音を立てて扉を閉めた。

 窓からのぞく空は青く、日はまだ高い。
 本来なら、遅めの昼食を取る客や、気の早い常連客を見込める……臨時休業など、もっての他のかきいれ時だ。
 ……しかし、今日は特別だった。

 男にとって……酒場の主人、町の人々にマスターと呼ばれ親しまれている彼にとって、特別な予約が入っていたからだ。



 ――あいつに初めて会ったのは、もう何年前のことだろう。

 たった今見送った、客の食事の後片付けをこなしながら、男は過去を……ある人物との、ここでの出会いを思い返す。
 その日、すぐそこの……酒場の扉を開けて入ってきた……一人の冒険者のことを。

 ……第一印象は「頼りない」、それに尽きた。

 ……後になって思い出してみれば、そのとき確かに、その人物の不思議な瞳の輝きを感じたような気もするが……それでも、頼りないという印象の方が強かったし、それ以上はっきりとした何かは、それほど心に残ってない。

 だからいつものように……このコロナの街を訪れた新しい冒険者に、いつもそうしているように、声をかけ、あいている部屋を与え……落ちついたところを見はからって、よくよく話を聞いてみると……なんと呪いを受けていて、ほんの少し前まで記憶喪失のかえるであり、いまだに、そのなくした記憶ははっきりしない。
 しかもその正体すらわからない強い呪いを、なんとか一年以内に解かないと、また再びかえるに逆戻りしてしまう……と言うではないか。

 ……酒場の主人として長年過ごし、無数の人の話を聞いてきた男。その聞いてきたすべての話を、真偽かかわらず混ぜてさえ……一、二を争う奇妙な話。
 おまけに、それを男に告げた新米冒険者の目は……多少不安な色さえ見せるものの、まぎれもなく真剣だった。

 もちろん、誇大妄想を抱き、真正面から嘘を語ってしまう、そんな客もいるにはいるが……相手の目は、それとはまた違っていて。
 話を聞き終わった男は、ただ、思ったものだ。
 ……とんでもないことになるかもしれないな、と。

 ――そして、期限とされていた一年は、いくつもの事件と共に、あっという間に流れ過ぎ――その冒険者の、呪いと記憶をめぐる冒険は、思わぬ結末を迎えた。

 男も、町の皆も驚いたし、何より当人が一番驚いていただろう。
 ……それぐらい、意外な結末だった。

 そしてその結末を迎え――もともと盛況であった、この酒場の客足はさらにのびた。

 話を聞いた町の住民、かつて冒険者と直接出会い、そしてその結末を受け、感銘と感謝をさらに深めた依頼人。身分を問わない野次馬に、何かしらその人物にあやかろうという、冒険者に作家に吟遊詩人……次々、本当にどこからわいてくるのかと思うくらいの人々が、ひっきりなしにこの酒場を訪れた。

 あれから長い時間が経ち、さすがに今は落ちついているが……それでも客足の絶対数が、未だのびていることは、疑いようがなく……かつて住まわせていたその冒険者の話題もまた、未だ、尽きない。

 ――初めて会った時は、あんなに頼りなかったのにな。

 そう男が思い返しながら皿を磨いていると、音を立てて扉が開き、人影が姿を現した。

 特別な予約客――今思い返していた、その人物が。




 音と共に入ってくる、懐かしい顔。
 その隣には連れもいて……男が声をかけると、その連れは、あいさつとともに一つ、頭を下げた。

 ――久しぶりだな、元気にしてるか、まあ、座れよ。

 そう男が皿をおいて声をかけると、かつてのここの住人は、懐かしそうな顔をして、男のいるカウンターの前の椅子に腰をかける。

 ――いろいろ噂は聞いてるぜ。

 用意していた料理の、最後の仕上げと盛り付けをしながら男が言うと、見慣れた、かつてと同じしぐさが返ってきて……男は思わず、笑い声をもらした。

 皿に盛り付けた好物に、喜びを隠しきれない相手に、目を細め。
 それをさかなに、男と相手、そしてその連れの三者は、カウンターをはさんで話し始める。

 今はどうしてる、元気にしてるか、そういえばこんな噂を聞いたが……そんな、互いの近況と、とりとめのない話に花を咲かせ――ふと男は、ああ、と声を上げて席を立つ。

 そして間もなく、不思議そうな顔をする客のもとに、手紙を持って戻ってきて……ひとつ、話を持ちかけた。

 ――実は、おまえの本を出したいってやつがいてな。

 ……急な話に、驚く相手を前にして。
 男は手紙を手に、ひとつひとつ、事情を話す。

 ――ある日そいつがやってきて、どうしてもおまえの本を出したい、そう頼みこんできてな。
    ……もちろん最初は断った。
    その手の輩は山といるし、ひとりひとりにおまえを紹介していたら、こっちの身がもたないからな。

    だが、どうしても、と相手はひかず……何度も何度も、やってきたんだ。
    数々の伝説、英雄譚を持つ勇者。
    そのはじまり、起源となる話として、このコロナでの冒険を、
    どうしても本人の口から聞いたうえで書きたいのだ……と。

    それで、熱意はわかったが、オレが勝手に引き受けるわけにはいかないって
    言ったら……頼まれたんだ。
    せめて本人がここに来たら、この手紙を渡してくれないか……ってな。

 そう言って男が手紙を差し出すと、言われた相手は、驚いたような困ったような顔をする。
 男が目で連れに助けを求めると、連れは読むだけ読んでみては、との意の言葉を……男にとって、軽い助け舟を出し――当の本人は、未だ少し悩んだような顔をしていたが……とりあえず、その手紙を受け取った。
 男は軽く、安堵の息をもらし、言葉を続ける。

 ――もちろん、無理にとは言わないし、決めるのはおまえさんだ。
    読んだうえで嫌なら断ってくれればいいし、それならオレから言っておく。
    ……だがな。

 そこで言葉を切る男に、相手が言葉の続きを促すと。

 ――なんというか……ちょっとそいつ、おまえに似てるんだ。
    雰囲気というか、どことなくな。だからまあ、悪いようにはならないと思うぜ。
    ま、考えてやってくれ。

 そう言って、男は笑う。
 その変わらない笑顔に、手紙を受け取った当人も、なんとなく表情がやわらかくなり――再び、とりとめのない話に、花が咲いた。

 しばらくそうして、時間が過ぎて。……帰宅の刻限をむかえ、名残惜しそうにしながらも手紙を手にし、帰ろうとする相手に、男はそうだ、と声を上げた。

 ――その差出人、な

 手紙を手に、動きを止める相手に、男は続ける。

 ――そいつ、絵本を描いてるらしいぜ。
    それでぜひ、おまえの絵本を……
    大人から子供まで、楽しめるような冒険の物語を、描きたいんだとさ。
    ……まあ、もちろんおまえが許してくれるなら、だが。

 絵本、そう呟いて、手紙をしげしげと見つめる相手に、男は言った。 

 ――そうそう、もうタイトルは決まってるらしいぜ。

 タイトル?と聞き返されて。
 男はああ、とひとつ頷き、言葉を続ける。

 ――……「かえるの絵本」だとさ。

 一瞬、間があって。
 それから、やわらかい笑い声が、酒場に響いた。

 笑い声の中、相手がうっすら、肯定を思わせる返事をしたのを耳にして。
 男はにっこりと、満面の笑みを浮かべたのだった……。

―fin


(以下コメントにつき薄字・見たい方はマウスでドラッグしてください。)

 なんとなく、10周年記念的なイメージで。結局当日には間に合ってませんが、あくまでそんなコンセプトなので、エンディング後設定、ルートや主人公の性別、およびパートナーは限定しない方向で書きました。まあでもどうしても一周目でいきやすいルートなので、やっぱりルート的にはほんのり赤イメージが強いかもしれません。

 毎度のことですが、マスターのイメージはこれでいいのかと悩みます。できれば読んでくださる方のイメージもあんまり崩したくないので……難しいですよね、やっぱり。

 短いネタですが、お付き合い、ありがとうございました。

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